2号ファンド設立と“その先”のビジョン

2号ファンド設立と“その先”のビジョン

設立から5周年を迎えた慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)。
2020年には、慶應義塾の研究成果の社会実装を目指す1号ファンドから、東京証券取引所マザーズへ上場企業を輩出。加えて、投資対象を他の大学や研究機関に拡大した2号ファンドを設立した。
これからの時代に向けて、KIIが果たすべき使命とは。5年間の軌跡、新たなステートメントに込めた想いや“その先”の展望について、代表取締役社長の山岸広太郎が語る。

設立に込めた想い「大学の研究成果で社会を変える」

ーー慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)の設立経緯について、あらためて教えてください。

山岸: 弊社のミッションは、日本の大学の研究成果を活用して事業化に取り組むスタートアップに投資・育成を行い、今後の社会の発展に貢献することです。これまで大学の社会的使命は主に教育と研究であるといわれてきましたが、日本でも近年、その成果を社会のために役立てようという意識が高まりつつあります。
一方で私自身はグリー株式会社の創業に共同で携わり、上場を経験してからは個人的に大学への寄付や大学発ベンチャーの支援を行うようになりました。そのなかで、母校である慶應義塾もこうした取り組みに力を注ぐべきではないかと考え、執行部の先生方にご協力いただき、慶應義塾発のベンチャーキャピタル(VC)の設立に至ったのです。2015年12月のことでした。
時代の流れ、特に技術的な背景としては、コンピューターの演算能力の進歩が遺伝子解析技術に大きな飛躍をもたらすなど、イノベーションの波がIT系からライフサイエンス領域にも波及しつつありました。その潮流のなかで、医学や理工学をはじめとする慶應義塾の研究資産から新産業の創出と社会実装を目指すとともに、私自身の経験を後進のアントレプレナーシップ育成のために活かしたいと決意した次第です。

ーー設立後の反響や手応えについて教えてください。

山岸: 会社設立当初は投資資金が集まるか、有望な投資先が見つかるかどうかという不安もありましたが、16年7月に1号ファンドを設立することができました。この1号ファンドは慶應義塾の研究成果を活用していること、在学生や卒業生が設立や運営に携わる会社であることが条件でしたが、日本を代表する金融機関や保険会社、事業会社に手を挙げていただき、目標額の30億円に対して約45億円を達成。慶應義塾によるベンチャー支援の取り組みに、大きな期待が寄せられていると実感しました。

1号ファンドの支援先19社のうち代表的な投資例としては、20年12月に東京証券取引所マザーズに上場を果たしたクリングルファーマ。大阪大学で発見されたHGF(肝細胞増殖因子)を用いた医薬品開発を行う創薬バイオベンチャーで、慶應義塾大学とは共同で脊髄損傷の治療薬の実用化を目指しています。また、医学部の卒業生による医療ITベンチャーのCureAppは、開発を手がけた世界初のニコチン依存症治療用アプリが疾患治療用アプリとして日本で初めて保険適用の承認を得ました。他にも、宇宙ベンチャーのSynspectiveは20年12月に人工衛星の実証機の打ち上げに成功。さらに、私たちが会社設立段階から支援を行ってきた次世代リチウムイオン電池製造開発のAPBは、『日本経済新聞』がまとめた20年の企業価値増加率ランキングで1位に選ばれるなど、大きな注目を集めています。

ーー起業前のシード期から支援を行う場合、最初の体制構築や運営ノウハウまで、より深く広範なサポートが必要になります。

山岸: そのとおりです。1号ファンドの支援先19社のうち9社についてはシード・アーリーステージから支援を行っていますが、そもそも45億円のファンドで19社という投資社数は極めて少ない部類に入ります。よく“Spray and Pray”といわれるように、シード・アーリーステージのスタートアップに投資するVCの中には数十〜百社もの投資を行い、後は成功を祈るだけ、というところも少なくありません。そうではなく、1社ごとにしっかり密接なケアを心がけることが、私たちの特長の一つになっています。

2号ファンドは慶應義塾外にも投資対象を拡大

ーー1号ファンド設立から約3年半を経て、20年1月に設立した2号ファンドでは、投資対象を慶應義塾大学の研究成果以外にも広げました。

山岸: 投資対象を拡大したことに関しては、いくつか理由があります。まずは、1号ファンドの出資者のみなさまに大きな期待感を感じていただいたこと。時代状況としても、ベンチャー投資市場が拡大傾向にあり、その中で大学発ベンチャーが約15〜20%を占めるようになってきたことも関連しています。
次に、1号ファンドで支援を行った研究者は、自ら事業を立ち上げるなど、社会実装の取り組みに意欲のある方が中心でした。しかし日本のアカデミア全般を見渡せば、そうした意識を持つ研究者の方はまだ限られた存在に過ぎません。そのなかで、慶應義塾との関係を問わず意欲のある起業家と有望な研究を行う先生方をマッチングし、意識の変化につなげていきたい。そうすることで私たち自身も、より幅広い企業や技術に視野を広げ、より客観的な検討や評価ができるようになると考えたのです。
とはいえ、この2号ファンドの募集当初はアメリカでスタートアップ市場がバブルだといわれるなど景況感も好調だったのですが、20年に入ると新型コロナウイルス感染症の影響が世界的に波及し、見通しが立たない状態になってしまいました。そのなかでも結果的に約103億円を達成できたのは、既存の投資家からの支援に加え、新たに大口の投資家にも入っていただいたおかげだと感謝しております。

ーー投資先の業種や技術領域が広がるなかで、起業家との関係において心がけていることはありますか。

山岸: あくまで事業の主体は起業家であり、彼ら自身がやりたいことを応援するスタンスでしょうか。弊社のキャピタリストが投資先の社外取締役を務めることもありますが、重要なのは研究開発上の課題達成だけでなく、会社として成長する努力も含めてサポートしていく姿勢です。日本のスタートアップには「すごいものを作れば成功する」という意識が根強くみられますが、事業を拡大して知名度を高めていかなければ、資金を集めることさえままなりません。経営者である以上、自分たちの取り組みがいかに世の中の役に立つかをアピールして投資を募り、還元していく役割を忘れてはならない。さらに、世の中の流れが加速するなかで、できるだけ早く成果を挙げ、着実に利益を達成していく姿勢も重要です。そうした経営にまつわるマインドセットを浸透させていくことも、私たちの使命の一つだと考えています。

起業家とKIIの関係、そしてVCの社会的使命とは

ーー投資先の人々とともに多くの課題を乗り越えるなかで培われてきた、KIIの強みや特長とは何でしょうか。

山岸: 一つは、多彩なバックグラウンドを持つチームの存在です。設立当初より、異なる強みを持つ人材を集めることで、さまざまな投資先と密接な関係を構築できる組織作りを心がけてきました。スタッフの数は設立当初の2名から10名に増えましたが、製薬、通信、投資銀行、戦略コンサルティングなど、多様な経験を持つ個性的な顔ぶれが揃っています。その一人ひとりが投資先と深くコミュニケーションを取りながら、スタートアップの運営や人材採用、ブランディングなどについて学び、その経験を共有することで、組織としても着実に成長を遂げてきたと感じています。

ーー起業家の想いを社会変革につなげていくために、自らも学び、成長してきたということですね。

山岸: はい。私たちにとって重要なのは、まだ世に出ていない研究や知見を社会の人々に届けていく姿勢です。言い換えるなら、投資先ベンチャー企業のIPO達成をゴールとするのではなく、その先に続く社会に実装するまでの道筋を、起業家と共に作っていくという決意。その意識を、今回新たに掲げるステートメント「その研究が、その発明が、そのイノベーションが、社会を変えるまで。」に込めました。私自身、これからのビジネスは“Agenda-Setting”、すなわち、社会をよりよく変革するインパクトのあるものでなければならないと考えています。そうしたビジョンのある企業に投資する姿勢が、ESG経営やインパクト投資などの文脈における評価に結び付くことで、さらなる社会貢献が可能になるはずです。

ーー学びを世のために役立てるという、福沢諭吉の「実学の精神」にもつながるビジョンを感じます。

山岸: その点は、まだまだ力を注がなければならないところです。福沢諭吉は「Science」の訳語として「実学」という言葉を用いましたが、特に理工系分野にこそ、この考え方をより深く浸透させていく必要がある。また、アカデミアと産業界との人材交流の少なさも、日本が抱える課題の一つです。アメリカの場合、研究者自身がビジネスの動きに関心を持ち、資金調達や社会実装に向けた仕組み作りの重要性をよく理解している例は珍しくありません。日本のアカデミアにおいても、こうした意識を高めていく必要があります。
だからこそ私たちも、1号ファンドのリターンとともに2号ファンドの投資先を拡大し、その育成を通じてまた次のファンドを組成していかなければならない。確実に実績を上げていくことでファンドの規模や起業家とのネットワークを拡大し、ゆくゆくは日本の大学発ベンチャー業界全体を盛り上げていきたい。それこそが、これからの社会に私たちが果たすべき役割だと考えています。