加速する計算科学技術と創薬の地平
コンピューターの演算能力が飛躍的発展を遂げる中新薬の開発は、かつてない競争の時代へ突入した。
最先端の計算科学技術による圧倒的なスピードと日本の実力を掛け合わせ、新薬候補物質を探索するネットワーク型の創薬ベンチャー、モジュラス。
製薬業界の革新を目指す、そのインパクトに迫る。
最先端の計算科学ネットワーク体制に輝く精鋭集団
弊社は最先端の計算科学技術を用いた創薬プラットフォームを構築し、新薬の候補となる分子化合物の設計を行うネットワーク型創薬ベンチャーです。大きな特徴としては、分子同士やタンパク質との組み合わせを実験室ではなくコンピューター上で再現すること。さらに、大学や医薬品開発受託機関(CRO)などと独自のネットワークを構築して創薬プロジェクトを展開し、迅速かつ低コストな開発体制を実現していることです。このように実験室などの大きな設備を持たず、必要な実験はすべて外部機関で行いながら創薬に取り組む企業は“バーチャルファーマ”と呼ばれ、すでに欧米では製薬業界の一翼を担う存在となっています。
では何故、こうした創薬モデルが有効なのか。これまでの製薬会社は一般的に、新薬の候補物質の探索から臨床開発、マーケティング、製造販売までの工程を手がけてきました。しかしグローバル市場ではこの20年の間に、治療薬候補を創薬ベンチャーからライセンス導入する傾向が高まっています。近年では新薬開発競争の激化を受けて、創薬プロセスのごく初期、臨床試験前のフェーズにあたるリード化合物(新薬候補化合物)の段階で早々にライセンス契約を結ぶ例が多く見られるようになりました。
一方、日本では製薬会社とベンチャーとの取り組みといえば臨床段階を含め、数年かけて共同研究を行う形が中心でした。これに対して私たちは、新たな化合物の探索や設計、ライセンス締結まで、前臨床ステージのみに焦点を絞った研究開発体制により、日本の製薬業界のあり方に新たな風を吹き込みたいと考えています。
そのための武器となるのが、私たちが持つ最先端の計算科学技術です。具体的には、バーチャル上で化合物の3次元構造を作成、体内の標的タンパク質との結合の親和性をシミュレーションします。従来は有機合成の専門家が知見と経験に基づき、実験によって担っていた作業ですが、スーパーコンピューターを用いて大量の化合物を評価し、それまでは再現不可能だった複雑な体内標的の動きを含めて精密にシミュレーションすることで、より予測精度を向上させ、スピードとコストを大幅に圧縮できます。さらに、この段階で有望な化合物を絞り込んだ上で、実験室での合成や検証、臨床試験に向けた安全性試験は外部機関へ委託する流れにより、少人数でも数多くの創薬プロジェクトを回していくことが可能になりました。
飛躍的な演算力で、新薬開発を導くバーチャルファーマ
その上で弊社の技術には、大きく分けて二つの強みがあります。一つは、分子動力学計算を駆使したシミュレーション技術。これは病因となるタンパク質の働きに対し、候補となる化合物がうまく結合するかどうかを動的に検証する方法です。従来の技術では“静止画像”が用いられてきましたが、弊社は生体内における化合物と標的タンパク質の動的構造、いわば水の中の揺らぎを精密に再現し、両者の親和性や活性の予測を行っています。動的な解析となる以上、膨大な計算量が要求され、大きなコストがかかるため、大手製薬会社が大規模に導入するには高いハードルのある技術です。
もう一つは、このシミュレーション解析を高精度かつ安定的に実施することの難しさ。正確な解析には環境設定などの厳密なプロトコルが求められますが、まだ業界内でこのプロトコルが確立されていない状態のため、高度な経験とノウハウが必要とされます。その点でも弊社は独自のプロコトルを定め、高精度かつハイスループットのシミュレーション手法を確立しています。
なお、こうした取り組みには、私がこれまで携わってきた計算科学と創薬、疾患生物学領域における経験が大きく反映されています。ボストン大学とマサチューセッツ工科大学、遺伝子情報に基づく創薬ベンチャーを経て、アメリカの製薬大手企業ブリストル マイヤーズ スクイブで創薬研究に携わり、2013年に帰国。その後、化学シミュレーション用のソフトウェアを開発展開するシュレーディンガーの東京支社で数々の共同プロジェクトに携わり、製薬会社や計算科学業界、投資家の方々と対話を重ねるうち、ある確信を得たのです。
日本のアカデミアと産業界には、まだまだ大きな溝がある。この溝を橋渡しすれば、必ずや大きな可能性を発揮できるのではないか。というのも、アメリカでは計算化学や創薬分野の研究者の多くが自らベンチャー企業を設立し、大学などの研究機関と製薬会社が両輪となって大きな発展をもたらしています。ところが日本の場合、世界的に優れた研究が行われていながら、その知見や技術が産業応用されずに眠ったままの状態になっている。
大学の基礎研究と大手製薬会社のシーズ、バイオベンチャーをはじめとする技術的シーズをつなぎ合わせ、そこに私が携わってきた最先端の計算科学を掛け合わせれば、大きな力が生まれるはず。そう考え、東京工業大学のスーパーコンピューターを活用するなど独自のIT創薬に取り組んできた大野一樹(代表取締役COO)とともに、2016年にモジュラスを共同設立しました。
新薬候補化合物に対する探索アプローチの進展を表した図。モジュラスは分子動力学計算により、化合物と標的タンパク質の3次元構造を動的にシミュレーションする革新的な技術を確立している。
“眠れる日本”の力を武器に、創薬の未来を切り拓く
社内体制としては、東京では大野を中心に科学者や技術者とのネットワークを展開しつつプロジェクトマネジメントを進め、ボストンでは最新の計算科学分野を中心とするネットワークを展開。化合物の合成や評価、スクリーニングについては海外の機関へ委託するなど、グローバルな体制で研究開発のサイクルを回しています。
これまでに数多くの共同プロジェクトが発足し、東京大学発の創薬ベンチャーであるペプチドリームやアステラス製薬との業務提携のほか、慶應義塾大学ともプロジェクトが発足するなど、連携の輪を広げてきました。KIIには、こうした取り組みや日本におけるバーチャルファーマの可能性を評価いただき、20年5月に出資を受ける流れとなりました。慶應義塾の開設者・福沢諭吉は社会に貢献する“実学”を奨励するとともに、日本における近代医学の支援者としても大きな功績を残していますが、その観点からもKIIの支援はとても心強く、私にとって大きな励みになっています。
また、私たちのネットワークには、問題意識を共有し、新たな道筋を切り拓いていくパートナーの存在が欠かせません。日本におけるデジタル化の遅れをはじめ、製薬業界は大きな課題に直面しています。その一つが、莫大な開発コストによる薬価の問題。一般的な創薬プロジェクトにおいて実用化される例は数十に一つともいわれますが、それだけのコストが流通する薬の価格を押し上げ、普及や開発の障壁となっているのです。ここに弊社の技術を導入すれば、優れた物性の化合物をシミュレーションによって絞り込むことで、開発スピードとともにプロジェクトの成功確度が大幅に高まり、コスト削減にも貢献できます。
その上で私たちが注力しているのは、新たな低分子治療薬の発見です。低分子薬は少ない分子量で構成されるだけに、結合する有効な体内標的が枯渇しつつあるといわれている。それが業界の共通認識となり、製薬会社の多くがバイオ医薬品を中心とする高分子薬や抗体医薬の開発に力を注ぐようになりました。しかし、低分子薬は分子構造が単純な分、製造が容易で保存期間も長く、飲み薬として処方できるなどのメリットがある。そして計算科学を用いた創薬手法が、まだ発見されず埋もれたままの低分子化合物の探索にも新たな活路を拓いたのです。弊社でも、がんや慢性疾患を対象に10件ほどの創薬が進行中ですが、中期的にはこれらをグローバル製薬企業とのライセンス締結を通して臨床入りさせる予定です。
日本をはじめ、薬を必要とする世界中の人々により早く、より手の届く形で、新しい薬を届けていくこと。その想いのもとに育まれてきた技術と、かけがえのないネットワークこそが、私たちの原動力になっています。