脳とつながる技術で挑む “回復限界” 克服への道

脳とつながる技術で挑む “回復限界” 克服への道

有効な治療法が存在せず、身体機能の麻痺をはじめ、重い後遺症を抱える脳卒中の患者たち。
その苦しみに寄り添うため、脳科学とAIを活用した革新的な医療機器が開発された。
脳と機械を接続するBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)をコア技術に、人間の
脳や身体が本来持っている“治ろうとする力”を引き出し、重度麻痺の克服を目指すLIFESCAPES。
長く培ってきた研究成果の社会実装に向けて立ち上がった代表取締役の牛場潤一と、
KIIの投資担当者・鳥居優人。それぞれの想いが重なり合い、希望の道筋を照らし出す。

脳卒中後遺症の“回復限界”を覆す、革新的技術に込めた想い

牛場:私はこれまで十数年にわたり、慶應義塾大学理工学部で人間の脳と機械をつなぐBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の研究を続けてきました。その成果を医療分野で活用するため、2018年に「Connect」の名称で研究成果活用企業を設立。今年7月に「LIFESCAPES」に社名を変更し、引き続き事業化に取り組んでいます。
事業の目的は、脳卒中によって失われた身体機能の回復のために、新たな道筋を切り拓くこと。脳卒中は、がん、心臓病、糖尿病と並ぶ4大疾病の一つであり、25歳以上の4人に1人が発症するともいわれる病気です。脳の血管が詰まったり破れたりすることで身体機能を司る脳の部位が損傷し、一命を取り留めたとしても体に麻痺が生じるケースが少なくありません。特に重度の麻痺によって失われた運動機能は、これまで一生治らないものと考えられてきました。
しかし、私が研究してきたBMI技術を応用すれば、重度の麻痺にも治療の可能性を切り拓くことができる。今までは諦めるしかなかった体の動きや自由な生活を、再び取り戻すことができるのです。

牛場 潤一

——理工学分野の知見を医療に役立てる取り組みは「医工連携」と呼ばれ、大きな期待が寄せられる領域ですね。

牛場:はい。私は慶應義塾大学理工学部に在学中、社会の役に立つ研究をしたいと強く思うようになりました。以来、アカデミアの世界に身を置きながら、センシング技術やAIなどを駆使することで手術を行わずとも外部から脳の状態を理解したり、脳の活動に働きかけたりする技術を探求してきたのです。

鳥居:牛場さんの研究についてはKIIとしても、大きな可能性につながる革新的な成果として注目してきた経緯があります。私もKIIに入社してすぐのタイミングで牛場さんのピッチを拝聴する機会があり、大きな感銘を受けました。そこからシリーズBの契約に向けて、牛場さんに情報を提供いただき、私自身もいろいろとリサーチを重ねて、社内提案に臨んだ次第です。

牛場:設立当時を振り返ると、事業計画の見通しやチームビルディングなど未熟な点が多々あり、シリーズAはKIIの支援なしでのスタートとなりました。しかし、慶應義塾大学の研究成果活用企業である以上は、同じ慶應義塾のオフィシャルベンチャーキャピタルであるKIIのお眼鏡に適うようになりたい。その想いから、鳥居さんとやりとりを重ねてプロポーザルを磨き上げていきました。
特に大きかったのは、説得力のある説明の仕方や裏付けになる数字の出し方など、私が気付いていなかった部分について学びや成長のきっかけをいただいたことです。だからこそ、KIIから支援決定の一報を受けた時はとてもうれしく感じました。

鳥居:ありがとうございます。あの時は私としても、とにかく質問を重ねてお話をうかがいながら、より深い理解のために努力しました。毎回、とてもわかりやすく明確な回答をいただいて、技術自体の価値から社会的な展望に至るまで、さまざまな角度から説得力を高めることができたと感じています。

鳥居 優人

——治療困難とされてきた脳卒中の重度麻痺に対して、まさに大きな希望をもたらす技術だと思います。どのような仕組みでアプローチしていくのでしょうか。

牛場:人間の脳には、神経の配線をつなぎ変えて新たな回路を作り出す「可塑性」と呼ばれる働きが備わっています。私たちが開発したのは、BMIと装着型のロボットを用いて可塑性に働きかけ、体の動きを再び取り戻すための装置です。
例えば左手の動きを司る右脳に脳卒中が起きた場合、神経回路の一部が障害されたことによって「左手を動かす」という運動シグナルが脳の中で生成されづらくなり、脳から手に十分なシグナルが届かなくなります。この状態では、放っておいても回復の見込みはありません。そこで私たちは、患者さんに脳波計を装着してもらい、損傷を免れた神経回路の活動状況をAIで分析します。神経活動が十分に高まっているとAIが判断した場合に限り、左手に装着したロボットを駆動させて、手指の動きをサポートする。これにより、「麻痺していた左手指が動いた」というフィードバックが脳に伝わります。こうした一連の神経活動をBMIで作り出し、脳内に新しい回路を構築する手伝いをします。
こうして運動の成功体験を繰り返すことで、脳が持つ“治る力”を最大限に引き出していく。やがては装置を必要とせずに、自分の意思で手を動かせるようになることが期待されます。

“学びながら貢献する”姿勢から新たな挑戦のステージへ

鳥居:KIIとしてはデューデリジェンスの過程で、この技術によってもたらされる社会的なインパクトを重視して支援を決定した経緯があります。この技術がなぜ必要なのか、患者さんや医療従事者のペイン(苦しみ)がどう解決され、どんな変化がもたらされるのか。これらの点をふまえた上で、この技術を必要とする人たちの手に届ける道筋を描くべく、具体的な目標を設定するなどして支援に取り組んでいきました。

牛場:脳卒中は一般的に、発症から半年ほど経つと「症状固定」というステージに入ります。発症部位の中でも特に手の指は治療困難だとされており、医師に「あなたの手はもう治らない」と告げられることになる。私たちにとって手は、生活にも仕事にも使うツールとしての機能だけでなく、家族や愛する人に触れて感情を伝えるものでもあり、いわば“日常と社会へつながる窓”なのです。その自由を奪われるという患者さんのペインは、まさに想像を絶するものです。医療従事者もまた、麻痺手の機能回復に関する有効なエビデンスが乏しいために、治療を諦めざるを得ないという大きなもどかしさを感じています。
そのペインを取り払い、患者さんに本来の人生を取り戻してもらうことが、私たちの大きな目標になっています。

LIFESCAPESが開発した、脳卒中による手指麻痺患者のためのBMIリハビリテーション機器。頭部に装着する脳波デバイスと、手に装着するロボットなどで構成される。

——テクノロジー系のスタートアップには、ビジネスとしての成長に加えて、これまでにない技術の実現というハードルがあります。契約当初は、どのような見通しだったのでしょうか。

牛場:実は起業に至るまでには、研究室と大手メーカーと共同で医療機器としての認証を目指してきたものの、共同研究先が医療機器から撤退することになり、一念発起して自ら事業化に取り組むことを決めた経緯があります。KIIから後押しをいただいたのは、共同研究先からライセンスや知財、設計文書などの譲渡を進め、製品化に向けたエンジニアの確保や製造体制など、数多くの課題に取り組んでいくなかでのことでした。

鳥居:あの頃は私自身もこの業界に入ったばかりで、キャピタリストとしての活動も、スタートアップに携わるのも初めてのことでした。メガファーマで医薬品マーケティングに従事していた経験をどう応用できるか、「学びながら貢献しよう」というスタンスで臨みました。

牛場:鳥居さんは製薬業界に加えて獣医師としての勤務経験もあり、その知見を遺憾なく発揮して取り組んでくださっていると感じます。医療機器と一言で言っても、その幅は清浄綿やメスにはじまり、複雑な機械に至るまで数多くの疾患領域にまたがっており、個別性が極めて高い分野です。
鳥居さんとの連携のなかで見定めることができたのは、リハビリ機器はまだ市場が小さく、成熟もまだこれからだということ。逆に言えば、私たちの事業にはこの領域全体をアップデートできる可能性のある、極めてクリエイティブな挑戦の機会が広がっているということでした。前進に向けた議論をご一緒できる方に恵まれて、とてもありがたいと思っています。

——支援開始から1年半余りを経て、今年の6月にはKIIから追加出資が行われ、7月には社名をConnectからLIFESCAPESに変更されました。これらの変化をふまえた現在の手応えや、見通しについて教えてください。

牛場:シリーズBの資金調達の際は、医療機器製造販売業の許可取得を目指しながら、開発やセールスに携わる人材を確保し、共同研究にまつわる書類や知財の取得を完了させることなどをお約束しました。この目標を達成するべく約1年にわたって努力を重ねてきた上で、今度は医療機器として製品の販売を開始する段階を見据えて増資をお願いし、それがシリーズCへとつながりました。さらに、“脳と体をつなぎ直す”という意味で「Connect」としてきた社名を、「患者さん一人ひとりの人生の眺望、展望を取り戻してもらいたい」という想いに合わせてステージアップさせ、「LIFESCAPES」へと変更した次第です。

鳥居:まさに展望を広げて、新たな段階が始まったところだと思います。今まで必要だったのはアカデミックな仮説検証のためのエビデンスでしたが、これからのステージで求められるのはクリニカルクエスチョン(臨床的疑問)を解決するためのエビデンスです。マーケティングや販売のご担当者も参画し、私もプロモーションの作り込みからKOL(Key Opinion Leader)マネジメントの手法、マーケティングのアクティビティ管理に関するアドバイスなど、よりしっかりとサポートさせていただきたいと肝に銘じているところです。

BMIリハビリテーション機器を用いた治療のイメージ動画。

“研究×事業”の両輪で、新たな社会を導く試み

牛場:これから問われるのは、このかつてなく新しい機器や治療法を、どうやって医療の現場に組み込んでいくかです。ここまでの研究者としての経験を振り返ると、こつこつと小さな積み重ねを続けているなかで、一気に展開が開けるような瞬間が何度もありました。事業展開においても同様に、たとえ最初は誰も信じてくれなくても、粘り強く説明をし、一人ずつ治る方を増やしていけば、脳卒中の治療に新しいスタンダードを打ち立てることができると信じています。実際に、日本脳卒中学会の「脳卒中ガイドライン 2021」にも、BMIが脳卒中の治療に有効であることが記載されました。さらなる飛躍を目指して、「やってやるぞ」という強い想いを抱いています。

鳥居:こうしてお話をさせていただくなかで、牛場さんの言葉の一つひとつに確かなビジョンと、ファクトに基づく説得力を感じます。個人的な印象として、この取り組みはきっと脳卒中の治療法にとどまらず、より広い医療の領域や教育分野など、大きなイノベーションにつながっていくのではないかという予感があるのですが、いかがでしょう?

牛場:おっしゃるとおり、この技術は将来的に、手以外の身体部位における脳卒中の後遺症の治療だけでなく、これまで治療法のなかった他の神経領域にも応用できるはずです。ゆくゆくは使用者自身が自分の脳の状態をメンテナンスしたり、コンディショニングしたりすることも可能だと思います。さらには音楽の演奏やスポーツなど、脳の状態によって体が思うように動かないケースに対してもBMIを活用することで、あらゆる人が楽しく豊かな生活を送るサポートをできるのではないかと考えています。
そして私の想いは、大学で基礎研究に取り組みながら、この事業を通じて社会を変えていくこと。事業化を成功させ、その源である学術の価値を証明できれば、アカデミズムが持つ力や展望の広さに多くの人が気付くはずです。それが大学の社会貢献の一つのあり方となることで、若い人材が熱量を持って学び、育つ土台が強化されていく。そんな好循環を、大学の教員として創り出していきたいのです。

鳥居:そのビジョンに刺激を受けながら、未来を変えるお手伝いをしていくのが私の役割です。そして同時に、本当に面白い仕事だと実感しています。前職では完成されたプロダクトを「いかに売るか」に取り組んでいましたが、キャピタリストはまだ確立されていない価値をともに育て、届ける道筋を作っていくという“ゼロイチ”にも近い立場です。大きなボラティリティ(変動率)がある領域に身を置きながら、進むべき方向をしっかりと見定めて成長していきたい。ぜひ引き続き、ご一緒させていただけたなら幸いです。

牛場 潤一 / 鳥居 優人